富士山について。山とバイトと青春と。

コロナも落ち着き、夏休みにお出かけする人も多いと思います。ネットニュースで富士登山が人気という記事が出ていました。

私は大学生のとき、富士山8合目の山小屋「蓬莱館」で住み込みのアルバイトをした経験があり、実は富士山、大好きなのです。

今回の記事は仕事を離れて、富士山のことや山のぼりなどについて書いてみたいと思います。

もう20年以上前になりますが、私は蓬莱館(ほうらいかん)という山小屋でアルバイトをしていました。

蓬莱館は富士登山のメインルート「吉田ルート(河口湖ルート)」の八合目、雲の上の3150Mに位置する山小屋です。この高度では酸素も薄く、最初のころは掃除などちょっと動くだけですぐ息切れしてたのを覚えています。

●蓬莱館さんのHPはこちら。改装してずいぶんきれいになっています。

下の写真はバイト中の私。山小屋のネームが入ったはっぴが懐かしいです。20歳のころです。

富士山登山者は一般的に五合目まで車やバスで行き、そこから登り始め、トータルでゆっくり8時間~10時間くらいかけて頂上まで向かいます。

理想的な流れとしては、

・正午ごろに五合目着、登山開始

・日没までに8合目あたりの山小屋着。夕食。仮眠。

・深夜起床。頂上へ向けて登山開始

・早朝、頂上でご来光(日の出)

・下山。午前中に五合目着。バスや車で帰路へ。

というかんじです。

私たち山小屋スタッフの仕事は、この登山客に合わせたものとなります。

・深夜~早朝 夜勤当番が宿泊客の送り出し

・日勤スタッフ、朝7時ごろ起床、みんなで朝食(和食でした)。掃除。

・10時 ラジオで下界のニュース聞きながら、おやつ

・午前中 掃除の続き&登山客の対応(売店販売、杖への焼き印など)

・12時 みんなで昼ごはん

・午後 登山客の対応。

・15時 おやつ。(ポテトチップスと紅茶という組み合わせが多かったです)

・夕方~深夜 宿泊客のお世話(宿泊客が到着し始めます。ベッドへの案内、夕食提供、片付けなど、ものすごく混雑します。)

・合間をみてスタッフも交代で晩ごはん。就寝。

・深夜~早朝 富士山は夜中も人通りがすごいため、夜勤当番はここからが本番。売店販売、飛び込み宿泊客のお世話など。

仕事内容は一般の旅館スタッフとそう変わらないように思えるかもしれませんが、予約客を五合目まで迎えに行ったり、宿泊客を山頂まで案内する「送迎」や、今夜の宿が決まっていない登山者を山小屋へ勧誘して連れて戻る「客引き」などの仕事が入ってきます。

「送迎」は五合目まで下りたり頂上まで上がったりしますし、「客引き」は六~七合目と八合目を何度も往復しながら行います。なかなかにハードです。繁忙期には連続した送迎で24時間で富士山2往復したこともありました。

また上の写真の3枚目、私(最後尾)のリュックのまわりにパイプがあるのが見えると思います。

これは「客引き」でつかまえたお客さんの荷物を代わりにもってあげる、というインセンティブ付与のためのものです。

「荷物持ってあげますから今夜はぜひうちにお泊りください」というわけですが、団体客をつかまえるとたくさんのリュックがここにぶら下げられることもあり、これまたハードです。(たまにチップをもらえておいしい思いもしましたが。)

その他、各山小屋で持ち回りの仕事として「山小屋への郵便配達」や「救護所待機」などの仕事もありました。

蓬莱館の経営者さんは地元の方(ご夫婦)で、その他は全国各地から集まった大学生バイトでした。

男子も女子もみんなが仕事を通して仲良くなりました。たくさんの思い出もできました。

夜中にみんなで外に出て、満天の星空・真冬並みの気温の下「寒い寒い」と笑いながら下界の河口湖の花火大会を見たこともありました。

打ち上げ花火の高度は高くても750Mだそうです。一方、私たちの山小屋は3150M。花火はずっと下の方。

打ち上げ花火を上から見下ろすとどう見えるか知っていますか?

音は全く聞こえず、ちょうどコインくらいの大きさで、暗闇に小さな花がぽっと咲くようにして、まん丸の花火がいくつもいくつも連続して開いていくのです。

夜空を見上げれば、怖いくらい無数の星々。下界の暗闇に無音で咲いては消える色とりどりの小さな花。仲間たちの歓声ーー。夢の中の光景みたいです。

同年代の仲間と富士山八合目で過ごした夏の思い出は、私にとってかけがえのないものです。本当の意味での青春だったな、と切なくなります。あんな夏、もうないんだろうなー、って。ほんと懐かしいです。

山小屋スタッフの仲間

私の青春はさておき、先日のネットニュースには富士山の弾丸登山の記事も出ていました。

一日で5合目から頂上までを(宿泊無しで)一気に往復することを弾丸登山と呼ぶそうです。

弾丸登山については体力的な問題、高山病の問題、マナーの問題など多くの点が指摘されていました。個人的にもけっこうきついな、と感じます

私がバイトをしていたときも、無理して8合目まで上がったけれども動けなくなった方が何名かいらっしゃいました。

たいていの方は山小屋で一晩休養して何とか下山されるのですが、ひとり、ちょうど私が夜勤当番だった夜に、高山病で意識を無くされた方がいらっしゃいました。(持病もお持ちだったそうですが。)

その方は山小屋到着後に苦しみ始めていたのですが、夜中に意識が無くなり、呼びかけても無反応、そのうち自力での呼吸もおぼつかなくなり始めました。

私たちは救護所に電話連絡を入れ、人工呼吸やマッサージで医師の到着まで何とかつなぎました。

ようやく深夜に救護所の医師が到着しました(もちろん医師も徒歩で8合目まで登ってきます)が、応急処置しかできず、とにかくヘリコプターでふもとに下すしかないとの医師判断でした。

ただ、深夜の富士山は暗闇であり、明るくなるまでヘリコプターは近づけません。ヘリの管理センターと連絡を取り合いながら、私たちはじりじりとした気持ちで夜明けを待ちました。

現在はどうなのかは知りませんが、急変する気流や天候の関係で当時は富士山にヘリが着陸できた例がなく、ギリギリのチャレンジとなりました。

夜が明け、ヘリの管理センターから到着予定時刻が電話で入るものの、時刻の変更が相次ぎます。雨は降っていないのですが気流が安定せず、着陸態勢に入れないのです。

結局ヘリコプターは何度もトライした結果、着陸不可と判断され帰っていきました。

もう人力で下ろすしかありません。患者の呼吸はかなり弱っています。蓬莱館には長時間使用できる携帯用の大型酸素ボンベがなかったため、ひとつ下の山小屋「太子館」に協力を仰ぎボンベを借りました。

患者を担架に乗せ、口元にボンベの吸入口を当てがいました。1人がボンベを背負い(ダイビングに使うようなボンベです)、6名が患者を乗せた担架を「せーの!」で持ち上げます。

車が入れる5合目まで救急車を呼んでおき、そこまで人力で運ぶ計画です。

よく言われることですが、意識を無くした人というのは、体重以上にずっしりとした重みがあります。

しかも富士山下山道の急斜面です。富士登山経験がある方はご存知かと思いますが、下山道は砂と小石で足元が悪く、ズルズルと滑ります。道はかなりの角度で下っているため、走り出すと止まらなくなってしまうほどです。(走ると一歩で数メートル飛べます)

当然担架で運ぶとなれば、担架の前方を持つ人に患者の重量が一気にかかり、その負担はかなりのものになります。

山小屋スタッフは通常であれば、半駆け足で2時間もあれば5合目まで下りることができます。しかし担架を持ってはそうはいきません。

ゆっくりと慎重に歩を進めます。担架の持ち手の重量が手のひらに食い込み、その重さに皆、息があがります。休憩を入れたいところですが、時間の猶予がありません。

担架を持つ位置の、前と後ろを交代で入れ替えて負担を分散しながら休みなく歩き続けます。全員が徹夜の看病でフラフラです。

夜明けの富士山はかなりの冷え込みですが、重労働で体温は上がりっぱなしです。しかし空気の乾燥で汗は一瞬で蒸発していきます。

4時間以上かけ、なんとか五合目まで下りることができました。

スタンバイしていた救急車に患者をバトンタッチし、私たちはボロボロになった体を引きずるようにして再び八合目の山小屋へ帰ったのでした。

急患の方のその後の情報は山小屋には入ってきませんでした。

富士山、弾丸登山は避け、装備を整えて十分に体調を考慮した上で楽しんでいただければと思います。無理するとみんなに迷惑がかかる、とまでは言いませんが、「帰る勇気」も大切ですよ。

富士山はずっとそこにあります。またいつでも再チャレンジできるのです。

最後におまけの「影富士」写真です。富士山に西日が差したタイミングで雲海が出ていると、雲の上に富士山の影が現れます。

かなりめずらしいもので、私も一度しか見たことがありません。

富士山、ほんとうに美しい山だと思います。また登りたいなー。