ヒマラヤについて。山とパワハラと人生と①
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アクセス解析を見ますと、思っていた以上に多くの方にご覧いただいているのですが(ありがとうございます!)、予想外だったのは、ビジネス記事よりも雑談記事のほうがアクセスが多いという点です。なぜだ?(笑)
なかでも富士山アルバイトについての記事はアクセスと反響が特に大きく、この記事をきっかけにお電話をいただき、仕事につながったことまでありました。
ということで、2匹目のどじょう、というわけではありませんが、今回はヒマラヤ登山について書いてみたいと思います。
私には、社会人となってたったの3年で勤めを辞め、長い旅に出ていた時期があります。
仕事を辞めた理由は後述しますが、いずれにしても「どこか遠くへ行きたい。行くしかない」という切実な思いに駆られたのがひとつの理由でした。
飛行機の往復切符を買ってタイのバンコクに降り立ち、そこで帰りの切符を破棄しました。(当時は往復切符を持っていないとタイへは入国が認められませんでした。)
行先未定、帰りも未定。いけるとこまで行こう、と決意してのことでした。
TシャツGパン姿に大きなナップサックを背負った私は、熱風と砂と汗にまみれながらアジアの街々をひとりで歩き始めました。
バンコクから北上し、ラオスへ。ラオス国内をぐるりと回って、いったんタイ北東部に戻り、続いて東へ。
カンボジア、さらにベトナムへと進み、ベトナムを北上して中国に入りました。
それぞれの国境ゲートを自分の足で超えていくたびに、パスポートにいくつもの入出国スタンプが押されていきました。
出入国がそろっていないのは「日本国」のスタンプのみですが、日本が嫌になっていた私にとって、それはかえって誇らしくも思えていました。
中国を出た後はいったんバンコクに戻り、西へ進む計画を練りました。いわゆるGO GO WEST、ってやつです。ニンニキニキニキ。
理想をいえばそのままタイから陸路で国境ゲートを超えてミャンマーに入りたかったのですが、当時の政権下では陸路でのミャンマー入出国が認められていなかったため、やむなく飛行機でジャンプすることにしました。
ミャンマーを超えてインドに行くかネパールに行くかで迷いましたが、インド行きの安い航空券がキャンセル待ち状態だったため、私はまずはネパールのカトマンズへと飛ぶことにしました。
ネパールといえばヒマラヤ。ネパール行くならこれはもう登るしかない、ってかんじでした。ヒマラヤ歩けば心が晴れるんじゃないかとの期待もありました。
ネパールの首都カトマンズで装備を整えたあと(タメル地区という安宿街には、中古登山グッズ屋さんや、山岳地図屋さん、レンタル装備屋さんなどが無数にありました。)、飛行場へ向かい、10人乗ったらいっぱいになるくらいの小型セスナ機に乗り込みました。
乗り込み時、パイロットからちぎった綿を渡されました。「?」という表情の私に、パイロットは「耳に詰めろ」というしぐさをしています。
どうやらイヤーマフ代わりに耳栓にしろ、ということのようです。
小型機はすさまじい音を立てながら飛び立ち、風に揺られながらヒマラヤへ向かいます。
数十分後、おんぼろの小型機は、木の葉が舞うようなおそろしい着陸方法でヒマラヤ麓の小町「ルクラ」へと降りました。
富士登山の場合、通常は五合目までバスで上がり、そこから歩き始めます。
ヒマラヤも同様に、ルクラまで飛行機で行き、そこからがスタートです。
富士山とヒマラヤ
ここで富士山とヒマラヤの違いについて書いてみます。
・富士山は独立峰(単独でそびえている山)ですが、ヒマラヤは連峰(複数の山々が連なっている山(山脈))です。
・富士山五合目の高度は2400M、頂上は3776M(標高差1376M)ですが、ルクラの高度は2860M、エベレスト頂上は8850M(標高差5990M)です。
・富士山五合目から頂上までは約8時間の道のりですが、ルクラから私の目的ポイントまでは約10日間の道のりです
セスナに同乗していた登山姿の欧米人たちはみな同一グループだったようで、空港に着くと私はひとりぽつんと取り残されるかたちとなりました。
私はリュックの紐を固く結びなおし、エベレストへと続く道、通称「エベレスト街道」を地図を見ながらひとりで歩き始めました。
ヒマラヤ山脈の峰々のうち、いちばん高いのがエベレスト山頂であり、私の行く道もそこへ向かって伸びています。
私が目指したのはこのエベレスト街道上にある「カラ・パタール(黒の丘)」という5550M地点でした。
ネパール政府は「トレッキング」と「登山」を明確に区別しており、カラ・パタールやそれより少し高度の下がるエベレストベースキャンプまでをトレッキング、それ以上の高度地点へ上ることを登山と位置付けています。
「トレッキング」は個人でも比較的自由に行えますが、「登山」はネパール政府の事前許可が必要で、プロの登山家がチームを組んで数百万円の登山料を収めることなど複数の厳しい条件が設定されています。
つまり私のようなソロで歩くトレッカーにとっての、エベレスト街道における最高到達点は標高5550Mのカラ・パタールなのです。
エベレストへ到達する途中地点というわけなのですが、この標高5550Mは富士山頂よりもずっと高く、ルクラからの標高差は2690M、往復歩行距離は120kmともいわれているようで、たどり着くのも簡単ではありません。
参考までに、ルクラからカラ・パタールまでの道のりをグーグルマップで貼ってみます。
(ルクラに赤ピン、途中の行程に青ピン、カラ・パタールに黄色いピンを立てておきます。カラ・パタールの少し東がエベレスト山頂です。)
マップを拡大するとよくわかりますが、緑色の点線がエベレスト街道です。途中途中に地名やロッジの名前も見えます。
ていうか、ルクラからの距離、やっぱりけっこうありますよね笑
さすがヒマラヤです。
ということで、ひとりで歩き始めた私ですが、だんだん心細くなってきました。
地図にない分岐点が途中途中にいくつもあるため、それぞれ到達場所も異なっていたり、現在地も見失いがちになったりするためです。
もともと人と群れるのが苦手な性格でして、ふだんは、はぐれカラスみたいにひとりでいるのが好きなのですが、エベレスト街道でひとりは精神的にもかなりきついです。
困り果てた私ですが、
と、ここで、途中ですが、ちょっと文章長くなりすぎたので次回に続きます。
(銭形に追われるルパンのように、私も仕事にも追われている身でして。とほほ。)
更新を気長に待ってやってくださいませ。
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