ヒマラヤについて。山とパワハラと人生と②
前回からの続きです。
時間ないので写真中心に駆け足で。
一人ぽつんと取り残された私ですが、ふとしたきっかけで、フリーの登山ガイドをやっているシェルパ族のパサンと出会い、格安で道案内を頼むことになりました。
カラ・パタールに向けて出発です。
山と山の間を縫うようにして高度を上げていく。
高度が上がるにつれ空気が薄くなり、呼吸もあがる。
先を行くパサンの「ビスレリ、ビスレリ(ゆっくり、ゆっくり)」の声が遠く聞こえる。
ときおり他のトレッカーとすれ違う。互いにヒンディー語で「नमस्ते,(namaste)」とあいさつするのが慣習。
高山病対策として、一日の上昇高度は原則500M以内に収める。
ところどころにシェルパ族が経営するロッジがある。ご飯食べたり泊まったり。
到着するといつもニンニクスープをもらって体を温めてた。
ロッジの広間ではヤクの糞を燃料にしてストーブを燃やす。乾燥しているのでにおいはしない。
暖を求める各国のトレッカーたちが集まって、みんなで紅茶を飲む。にぎやかで楽しい。
犬もモッコモコ。そりゃ寒いよね。
ベッド横。壁にかかった山の絵……じゃなくて、これ、窓からの景色。
日暮れ近くなると気温が一気に下がる。ロッジの各部屋には暖房なんてない。
ストーブのある広間に避難するか、寝袋にくるまって眠るか。
遠くに見えてた山が近づいてきた。酸素薄くて薄くて。
雲が出て「ラピュタは本当にあったんだ!」みたいな光景に。
高度があがって気温がぐんぐん下がり始める。手がかじかむ。
リュックから手袋を出して驚いた。
レンタル装備屋のおやじ、間違えて両方とも右手の手袋をリュックに詰めてくれてた。
4000M超えあたりで出会ったスイス人の女性トレッカーに両右手の手袋を見せたら、呼吸困難になるくらい笑い転げてた。
酸素が薄すぎてテンション・ハイになってんだろうね。
氷河。大きなものは何万年もかけてゆっくりと凍ったまま流れていくらしい。
ロッジも寒くて寒くて。すきま風もひどくて、防寒具を全部身に着けて頭まで寝袋にくるまって眠る。
寝る前にペットボトルに湯を入れてもらって枕元に置いておいたら、朝起きたときにはすでにカチコチに凍ってた。冷凍庫の中で寝ている状態。
5000M付近。
ロッジにも宿泊客はほとんどいない。ここまでたどり着けずに引き返すトレッカーも多い。
酸素がとても薄い。空気は凍てつき、大地は暗い。星々だけが異様に白く輝いている。
夜中、眠っていて寝返りを打つ、ただその動作だけで呼吸がゼエゼエなって苦しさで目が覚める。
身を丸くしてじっと固まり、呼吸が落ち着くのを待ち、そして再び深い眠りに落ちていく。
疲れのせいか、静けさのせいか、眠りは恐ろしいほど深い。暗闇で幾万年を過ごすかのよう。
早朝にゴラクシェプのロッジを出た。着込みに着込んでモッコモコ。
目的地カラ・パタールに到達!
気温よし(極寒)、見晴らしちょっと悪し。
ほんとうはここからエベレストの山頂が綺麗に見えるらしいけど、この日は雲が出ててうまく見えず。
カラ・パタールTOP、標高5550M地点にて。(手袋無し)
見渡す限り、生命をもったものは自分とガイドのパサンだけ。
風以外に音を立てるのも自分とパサンだけ。
凍える体から熱い息を吐く。無の地平で生を感じる。
生きるって何だろう。
様々な思いを胸に山を下りていく。
数日かけて下山。下りは早い早い。あっという間。
パサンに別れを告げルクラの空港から小型機に乗って、首都カトマンズへと向かう。
飛行機の窓から景色を眺める。
空の青と雲の白が自分の心にも流れ込んでくる。ほんとうにほんとうに心が軽く、クリアになっていくのがわかる。
旅に出た理由のひとつ。
前の職場で私はアタマのおかしい上司から執拗なパワハラを受けていました。
そういう人間になりたくなくて、そういう職場で一生を終えたくなくて、飛び出したのです。
飛び出すことに迷いはあったけど、来てよかった、って心から思えた日々でした。
ヒマラヤを下りた私はさらに西へ西へと国々を渡って素晴らしい旅を続けました。(機会があればまたお話したいと思います。)
そして。
かつての私のように仕事において不合理な仕打ちで悩んだりパワハラで苦しんだりしている人も多いと思います。
そんなときは「逃げる」というのも手段のひとつに入れてみてほしいと思っています。
たしかに正面から戦うのも手ですが、村上春樹さんの言葉を借りるならば「この世界にはちゃんと頭のおかしな人がいる」のです。
社会には異常なほど理不尽な仕事や理不尽な人も多いです。私は、これらから胸を張って逃げる、という選択もあってよいかと思います。
逃げた先に新たな道が開けることもあるのですから。